国民健康保険には傷病手当金がない。そう説明されることがありますが、正確ではありません。条例で定めれば支給できます。国保の給付は、法律で必ず行うものと、条例・規約に委ねられるものが入り混じっています。条文の語尾を追いかけると、その境目がはっきり見えてきます。
国保の給付は3段階に分かれる
国保の保険給付は、条文の書きぶりによって3つに分類できます。
| 分類 | 内容 | 該当する給付 |
|---|---|---|
| 絶対的必要給付 | 必ず行わなければならない | 療養の給付、入院時食事療養費、入院時生活療養費、保険外併用療養費、療養費、訪問看護療養費、特別療養費、移送費、高額療養費、高額介護合算療養費 |
| 相対的必要給付 | 原則として行うが、特別の理由があれば行わないことができる | 出産育児一時金、葬祭費(葬祭の給付) |
| 任意給付 | 行うかどうかも内容も保険者の裁量 | 傷病手当金、出産手当金 |
この分類は、条文の語尾を見れば判断できます。
法第58条を読む
出産育児一時金・葬祭費・傷病手当金は、いずれも法第58条に定められています。
第1項(相対的必要給付)
市町村及び組合は、被保険者の出産及び死亡に関しては、条例又は規約の定めるところにより、出産育児一時金の支給又は葬祭費の支給若しくは葬祭の給付を行うものとする。ただし、特別の理由があるときは、その全部又は一部を行わないことができる。
「行うものとする」が原則、ただし書が例外です。行わないことができるのは特別の理由があるときに限られます。
第2項(任意給付)
市町村及び組合は、前項の保険給付のほか、条例又は規約の定めるところにより、傷病手当金の支給その他の保険給付を行うことができる。
こちらは「行うことができる」です。行うかどうかも、内容も、保険者が決めます。
第3項(事務の委託)
第1項の保険給付と傷病手当金の支払に関する事務は、国民健康保険団体連合会または社会保険診療報酬支払基金に委託できます。
出産育児一時金の直接支払制度で、分娩施設への支払いが国保連を経由して行われるのは、この規定に基づくものです。
出産育児一時金
被保険者が出産したときに支給されます。額は条例または規約で定めます。
| 内容 | |
|---|---|
| 額 | 令和5年4月から原則50万円 |
| 内訳 | 本人支給分48万8,000円+産科医療補償制度の掛金分1万2,000円 |
| 額の定め方 | 被用者保険は政令、市町村国保は条例 |
額の定め方が制度によって違う点は押さえておきたいところです。出産費用の状況を踏まえて弾力的に改定できるよう、法律ではなく政令・条例に委ねられています。
なお、健康保険法・船員保険法・共済組合法の規定によって同一の出産につき相当する給付を受けられる場合には支給しない、という調整規定を置くのが通例です。
葬祭費
被保険者が死亡したときに、葬祭を行う者に支給されます。被保険者本人や遺族ではなく、実際に葬祭を行った人が受給者です。
額は条例または規約で定めるため、市町村によって差があります。
葬祭費にも調整規定があり、健康保険法・船員保険法・共済組合法・高齢者の医療の確保に関する法律により相当する給付を受けられる場合には支給しません。
条例で「葬祭の給付」を選ぶこともできます。現金ではなく現物で給付する形ですが、実際に採用している保険者はほとんどありません。
傷病手当金はなぜ任意給付なのか
健保の傷病手当金は法定給付です。国保では任意給付にとどまります。
この差は、制度の設計上の理由によるものです。
健保の傷病手当金は、労務に服することができない間の報酬の喪失を補う給付です。標準報酬月額という所得の把握手段があってはじめて設計できます。
一方、国保の被保険者は自営業者、無職者、年金受給者など多様です。働けないことによる所得の減少を一律に把握する手段がありません。そのため、支給するかどうかを保険者の判断に委ねる形がとられています。
実際にはほとんど支給されていない
恒常的に傷病手当金を支給している市町村は、ほとんどありません。自営業者は、病気やけがで働けなくなっても所得保障がないのが原則だと考えておくべきです。
一方、国保組合には規約で支給を定めている例があります。同じ業種の従事者で構成され、所得の把握がしやすいためです。
新型コロナのときに何が起きたか
感染症の拡大期に、多くの市町村が時限的な条例を設けて傷病手当金を支給しました。給与等の支払いを受けている被保険者が、感染などにより労務に服することができない場合を対象としたものです。
これは法第58条第2項という任意給付の仕組みを使ったものです。国が財政支援を行ったことで、条例制定が一気に広がりました。
条文に「行うことができる」と書かれていることが、こうした機動的な対応を可能にしたともいえます。
混同しやすい移送費
移送費は相対的必要給付だと思われがちですが、絶対的必要給付です。
国民健康保険法第54条の4第1項はこう定めています。
市町村及び組合は、被保険者が療養の給付(保険外併用療養費に係る療養及び特別療養費に係る療養を含む。)を受けるため病院又は診療所に移送されたときは、当該被保険者の属する世帯の世帯主又は組合員に対し、移送費として、厚生労働省令で定めるところにより算定した額を支給する。
「支給する」であり、条例・規約への委任も、特別の理由による不支給のただし書もありません。
第2項は、移送費は厚生労働省令で定めるところにより市町村または組合が必要であると認める場合に限り支給する、としています。裁量があるのは支給要件の側であって、給付を行うかどうかの側ではありません。
| 健康保険法 | 国民健康保険法 | |
|---|---|---|
| 条文 | 第97条 | 第54条の4 |
| 語尾 | 支給する | 支給する |
| 性格 | 法定給付 | 絶対的必要給付 |
国保だから裁量的だろう、という思い込みが誤りのもとになります。
保険料滞納と給付の差止め
保険料を、災害その他の特別の事情がないのに1年6か月間滞納しているときは、保険給付の支払を一時差し止めることができます。
ただし、出産育児一時金は差止めの対象から除かれています(平成21年10月1日以降の出産分)。出産という場面で給付が止まることのないよう手当てされたものです。
出産に関する給付は今後変わる
令和8年6月5日公布の「健康保険法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第31号)に、出産に関する給付体系の見直しが盛り込まれました。
現時点で確定していることと、していないことを分けて整理します。
| 状況 | |
|---|---|
| 法律の成立・公布 | 令和8年5月29日成立、6月5日公布(確定) |
| 施行日 | 公布後2年以内に政令で定める日。改正法の原則施行日(令和9年4月1日)とは別枠 |
| 具体的な仕組み | 未定。今後の政令・告示による |
| 給付額 | 未定 |
背景には、出産育児一時金を増額しても出産費用がそれ以上に上昇すれば妊婦の負担が残る、という問題意識があります。厚生労働省の部会でも、増額という手法には限界があるという指摘が出されていました。
顧問先への案内は、政令が出てからにするのが安全です。現時点で伝えられるのは「変わる予定がある」ところまでです。
まとめ
- 国保の給付は絶対的必要給付・相対的必要給付・任意給付の3段階。条文の語尾で判断できる
- 出産育児一時金と葬祭費は相対的必要給付。「行うものとする」+特別の理由による例外(法第58条第1項)
- 傷病手当金と出産手当金は任意給付。「行うことができる」(同第2項)
- 出産育児一時金は令和5年4月から原則50万円。市町村国保は条例で額を定める
- 葬祭費の受給者は葬祭を行う者。額は条例・規約
- 移送費は「支給する」と定められた絶対的必要給付(法第54条の4第1項)
- 出産に関する給付体系の見直しは法律成立済み。施行時期と中身は未定
退職して自営業を始める従業員には、傷病手当金がなくなる点を伝えておくと親切です。健保では働けない間の所得保障がありましたが、国保では原則としてありません。所得補償保険への加入を検討する材料になります。健保の任意継続を選んだ場合も、任意継続被保険者には傷病手当金は原則として支給されないため、どちらを選んでも所得保障は途切れます。
